包まれている愛
生徒会室にある柔らかいでも硬いでもない微妙な膨らみのソファーに座って書類整理をしていると、ラボにいた翼くんが突然こっちに向かってきた。振り返らなくても、足音を聞く限り小走りだという事が分かる。狭い部屋で走っちゃいけません、と世話焼きの幼なじみのような言葉を頭に浮かべたが、口にはしなかった。いや、出来なかったのだ。わたしが口を開こうとした瞬間に、翼くんの楽しそうで聞き慣れた笑い声が耳に入って、このあと彼が続けて話を始めるだろうなと予想したからだ。

「書記ー」

待つ間もなく翼くんはわたしの名前ではなく名称を呼んだ。やっぱり、とわたしは心の中で納得する。翼くんの行動は予想外なものがほとんどで、会ったばかりの時は奇想天外な振る舞いをする彼が掴めず、ただただ混乱して困るばかりだったけれど、時間を重ねる度に、少しではあるがある程度の癖や行動パターンなどが分かってきたのだ。そして、これはその数少ない中の一つだ。苦労はしたけれど、彼の事がどんどん見えてくるのは、難しいパズルのピースを一つずつはめていくようで、楽しい。翼くんはソファーの後ろ、つまりは座っているわたしの背後まで来ると、また楽しそうに笑った。

「なに?翼くん」
「好きだぞー」

少し前からわたしと彼が付き合い始めたからなのか、それとも彼の口から星の数ほど伝えられる甘い言葉に慣れてしまったせいなのか、どちらなのかは曖昧だけれど、なぜか動揺と照れでわたしの心臓が暴れ回る事はなく、むしろそれにどういった返事を返せば分からなかった事の方が困った問題で、とりあえず黙ってみると後ろにいた翼くんがわたしの首にまとわりつかせるように手をまわした。そのまま包み込むようにして、わたしの頭に抱きつく。自然な動作で早業だったため、反抗する間もなかったし、その行動に逆らう理由も無かったから、わたしは嫌がったり拒否はしなかったけれど、やっぱり今さら込み上げてきた恥ずかしさには絶えられなくなり、少し俯いた。それに何の意味も無い事は分かっているのに、なんとなく顔を伏せたくてたまらなかったのだ。「だからギュッてしてもいいか?」事後報告じゃないか。「ぬはは!書記あったけー」突っ込みを無視した翼くんが楽しそうにわたしの髪を頬ずりするようにしたので、思わず心の中で悲鳴を上げる。汗とかいっぱいかいたのにとかシャンプーはどんな匂いのものだっただろうかとかそんなことを考えて、冷や汗が流れる思いになった。実際は、この生徒会室のせいで地球温暖化が進行するスピードを早めているんじゃなかろうかと考えてしまうほど思いっきりクーラーががんがんにかけられているから、それは思いだけで留まるのだが。というか寒いならわたしで温まらないでクーラーの温度を上げてよ、会計くん。恥ずかしさを通りすごして少しうんざりした気分に陥っていた時、髪で遊ぶのに飽きたのか翼くんがわたしの首筋を匂うようにした。

「む、むむ?書記から甘い匂い…もしや書記、新発売のあのふわふわでもこもこのケーキ食べたな!?」
「うわ、ばれた!」
「ずるいぞ書記ー!!」

俺にも買ってこいー!!まるで玩具を買ってほしいとねだる駄々っ子みたいに、欲望を叫びながら翼くんはわたしを抱きしめている力を強める。年下であっても男の子だということを思い出すように痛感しながら、ケーキはもう売切れちゃったよ、そう伝えると「なぬー!!!!!」どうやらその言葉は火に油だったらしい、翼くんは腕の力をもっともっと強めた。ちょ、そこ締めたら息が出来ないんだけど!!

「翼く、ギブギブギブ!!」

さすがに息がし辛くなって、翼くんの腕を叩いて苦しいことを精一杯アピールすると、それに気付いた翼くんはやっとそれを緩めてくれた。わたしはやっと自由に呼吸が出来るようになって、思いっきり吸ったり吐いたりしていると「今度は一緒に行くんだからな!書記!」ちょっと怒ったように翼くんが言った。あれ、もしかして、機嫌が悪くなったのはそういう理由だったのだろうか。「俺もはやくケーキ食べたいー!」どうやら違ったらしい。そうだよね、翼くんが嫉妬なんて、ないかな。なんて思いながら、わたしは自分の肩にある重さを実感する。さっきまでわたしの首に絡ませていた腕は解かれて、だらりと肩に乗せられていた。その腕に、わたしの頭を委ねるようにして上を向くと、そこにはもちろん翼くんの顔がそこにあって、分かっていたはずなのに、あまりにも近い距離にどきりとする。「ぬははー」にっこりというよりも、にかっと眩しく笑った翼くんの顔には、今から悪戯するぞとはっきり書かれているようで、やばい、と思った時にはもう遅く。気付けばわたしの視界には翼くんの首元とシャツの襟が映っていて、唇には熱を感じた。

(//090708)