「ほら、帰るぞ」 不知火会長はよくあるハッピーエンドの童話の王子様よろしく、わたしに手を差し延べた。差し出された会長の手を見て、楽しそうに笑う会長の顔を見て、「え?」わたしは疑問を孕んだ言葉を口に出す。どうして不知火会長は当たり前だとも言うようにわたしに手を延ばしていて、そして、わたしがそれに引かれるのが当然だとも言うような顔をしているのだろうか。 「これは、なんでしょうか」 「俺の手だな」 「いやいやそうではなく、えっと…」 「なんだ、まだ帰らないつもりなのか?」 「帰ります、けど!」 会長の後ろにある大きい窓から見える空はさっきよりも闇を纏っているし、出来る事ならこれ以上暗くならないうちに帰りたい。けれど、どうしてそれが会長の手を握らなきゃいけない事に繋がるのだろう。はっきりと答えを出さずにいるわたしを見て、会長は笑う。「はやく決めちまえ」なにを、だろう。はっきりとした意味は分からないはずなのに、なんとなくそうは言い切れない自分がどこかにいて、もやもやする。行き場を知らないまま揺れているわたしの手が差し出された会長の手に重なれば最後、不知火会長に全てを絡み取られてしまうような気がしてならなかったからかもしれない。 ここで恥も照れも捨て去って潔く手を伸ばす事が出来るなら、どれだけわたしはわたしを褒められるだろう。だけどわたしは生憎そんな勇気は持ち合わせていないし、なにより目の前にある会長の笑顔を視界に入れる事で精一杯なのだ。生徒会室の天井に備えつけられている電球が会長の薄いグレーがかった髪を透かして、きらめかせる。もう空は完全に黒に染まった。 いつまでも答えを出さずに視線を泳がしていただけのわたしに呆れたのかもしれない、ため息を吐いた会長は「、え」何故かわたしの手を握った。「うわ、お前…手冷たすぎ。寒いならちゃんと言え」そう言って会長は咎めるような視線を向けてくるが、自分のものとは異なる温もりに戸惑いを隠し切れないでいたせいで。会長が言った事はぼんやりとしか分からなかった。 「す、みません」 「これだと反対の手も冷えてそうだな…、そっちの手も繋ぐか?」 「いいです!」 「そうか。もし耐え切れなくなった言えよ?」 そう言って会長は足を進めたので、わたしは慌ててそれに倣う。繋がれた手がひどく熱い。もちろん、わたしの手が冷えていた事だけが理由だけではない。わたしがきちんと付いてこれるように速度を早めずに歩いている会長の優しさとかその他色々が込められている事に気付いてしまったからだ。温もりだけならば、まだよかったのに。手を繋いだまま、会長は空いた片手で制服のポケットから鍵を出す。「…会長」生徒会会計の翼くんが改造してしまったせいで何回買い替えたか分からない鍵はまた新品になっていて、薄暗い廊下で存在感のある銀の体をきらりとさせた。 「どうして、わたしと手なんて繋ぎたいと思ったんですか」 「ん?」 答えが欲しかった。はっきりとした、明瞭な答え。鍵を差し込もうとしていた会長の手が止まるが、それはほんの一瞬で、すぐにその動作は再開される。 「俺は、お前のこと好きだとは言ったつもりだ」 当たり前のような当然のようなそれ以外の答えなど無いとでも言うように会長は言って、ガチャリ、と金属独特の冷たい音が廊下に響いた。その顔に少しの赤みも感じられないのに、わたしの顔はペンキでもかけられたみたいに赤くなって、熱くなる。だけど、会長は全く照れていないから、真っ赤になってあたふたしている自分が馬鹿みたいに思えてくる。 「そ、そんなの聞いてません!」 「あー…まあ直接口では言ってないな。だが、」 毎日毎日、一人でも処理できる書類整理を手分けしてやろうと持ち掛けているのは、間接的にそういう事だろ?火照りが全身まで到達した事をぼんやり認識しながら、さっき会長のデスクに積み上げてきた書類が頭に浮かぶ。少し前、書類整理をするから放課後ここに来るようにと告げたあれは、ただの口実だったという事か。「実際やらなきゃならない書類はあったから、生徒会の仕事としては間違ってはないんだけどな」確かに、量が少ないなと思ったし、なぜ青空くんや翼くんも呼ばないのだろうと思っていた。けれどいつのまにかわたしはそれに勝手な理由をつけて納得させていたらしい。それほどに、わたしも、会長と過ごすこの時間が、「…、」会長が口を開け、なにかを告げようとしたが、それは言葉にされる事はなく、ゆっくりと飲み込まれた。そして、じっと見ていたわたしを見据えるように笑う。 「ま、もし言うなら、もっときちんと伝えるさ。それまで、この手を繋いでいてもいいだろ?」 戸惑う事も、迷う事もなく、わたしは頷いた。「…わたしも、繋いでいたいです」分からないという気持ちははっきりと分かるのに、好きという気持ちに気付くのは遅いのかもしれないと、ふと思う。薄暗い廊下が少し明るく見えた。 とある王子様と あるお姫様のお話 (//100403) |