忍び寄る闇に
重い。ほんの少しだけ、重い。けれどそれだけではなく、ほんのりと温かい。俺は、これの正体を知っている。けれど、俺はそれを確認するように少しだけ首を動かして、後ろでぴったりとくっついている椎名を見た。やはり、彼女しか着ることの無い女物の制服から伸びる腕は、まだしっかりと俺の服の裾を掴んでいた。服と俺の神経が繋がっているわけなんてないのに、が掴んだ裾の辺りから熱が広がって、今それは全身に到達している。からすればこれは何の考えも無くて、気まぐれでこの行動をしているかもしれないのに、もしかしたら、こんなにも意識をしてしまっているのは俺だけなのだろうか。なんて、情けない。「じゃあ、」俺の後ろからの声が聞こえて、あわてて視線を前に戻す。
「今度の休みはその苺タルトを食べに行こうか」
気付かれなかっただろうか。「そうだな…さすがに女性が多いと聞くと、男一人では入りにくい」そんなことを思いながら口を開いたのだから、おそらく俺はこのささやかな温もりに離れてほしくないのだと、思う。「そうだろうねー」けれど、俺はこの優しい温もりを包んでしまいたい。このままでも心地いいのだが、なんというか、触れそうで、触れない距離が、もどかしくて仕方ない。それに、この状態は、手を繋ぐよりも恥ずかしいんじゃないかと、思うのだ。
「…ところで」
「んー?」
「その、つかぬことを聞くようで悪いんだが、」
「うん」
「この手は…いったい…」
足を止めて、俺は、が俺の服の裾を掴んでいるのを見てから、を見る。ちゃんと確認できていなかったが、が掴んでいた裾はほんの少しで、気付かなくても、おかしくないほどだった。それなのに、(あんなにも意識していたのか、俺は)恥ずかしくなってまた視線をの手に戻すと、彼女の笑い声が耳に入った。顔を上げると同時に、が手を離したので(、あ)ほんの少し、ぴくりと、俺の指が動いた。
「えへへっ!実はね。私的には手を繋ぎたかったんだけど、さすがにそれは恥ずかしいし、男の子的にも、女の子から手を繋がれるのって立場ないっていうか所在ないっていうか…。とにかく恥ずかしくて嫌だったりしない?そういう男心を察した私の配慮として、結果的にその…ね?」
「………」
まくし立てる様に告げたの言葉は、俺の耳を、右から左へと突き抜けていく。俺が言葉を理解するよりも先には動いて、俺の前に立った。どうしてだろう。「み、」俺の胸が苦しくなったのは、どうしてだろう。「宮地?」まるで生クリームのように、ほんの少し甘い声が俺の名前を呼んでいたことに気がついて「は」思わず間抜けな声を出し視線を合わせると、どうしてかはばつの悪そうな顔をした。
「いや、何か言ってくれないと困るって言うか、…恥ずかしいんだけど」
「あ、ああ…そうか」
顔が赤い。今、が照れているという事と、さっきまでが俺の服の裾を掴んでいた事が現実として一気に頭の中に流れ込み、俺も釣られて顔を赤くする。けれどそれをあまり悟られたくなくて、手で口元を覆う。隠せるとは思っていないが、何もしないままなのは嫌だった。(何を、言えば)ちらりと目の前のを見ると、何故かこいつは俯いてしまっていて、不甲斐ない自分を叱咤する。俺はこいつにそんな顔をさせたいわけじゃない。見たいのは、花のように可愛らしく、優しい笑顔で、悲しませたり困らせたくは無いのだ。俺が、今伝えたいことは、「…」こいつを笑顔にさせられるものではないかもしれない、もっともっと困らせるかもしれない。だが、俺たちが進むには、こういった一歩も、必要なんじゃ、ないか?
「宮地、今、なんて、…」
「っ!だから、」
だから、出来ればずっとその温もりを俺に託して、
「お前はそれで満足なのか!」
俺の隣で笑っていてほしい。ささやかな温もりではなく、確かな温かさを求めるために手を差し出して、俺は待つ。俺が無理やり手を取ってしまえば、温もりは手に入れられるだろう。けれどそれは一時的なもので、短いもの。だから俺は、「満足、じゃないよ」が笑顔で俺の手を取るのを、待っていたのだ。
変わったことが起こらなくて、こいつが隣で満足そうに笑ってくれるから、俺はこの手を温かいと思えるし、幸せなのだと気付けるのかもしれない。の手を握りながら、暗い帰り道を二人で歩きながら。俺はぼんやりとそんなことを思った。つくづく、侵食されている。
あいさつをして
(//100403)