恋に溺れている人を見ていると、馬鹿にしているわけではないけど馬鹿らしく思っていて、恋だ愛と苦しむそれをわかったような気になって、頭を悩ませる人にアドバイスをしながらわかりきったような気分になって、心のそこではあざけるようにしていたのだと思う。だから僕はずっとこの人のように誰かを精一杯愛すことなんてないのだろうと思い込んでいたし、こんな風に誰かひとりを思って泣いたり笑ったり不安になったり焦ったり恋しくなったり苦しくなったり後悔したり困ったり怒ったり幸せになったり嫉妬したり期待したり拗ねたり怖くなったり空っぽになったり満たされたり死にたくなったり生きたくなったりする事なんて絶対ないのだと、感じていた。きっと僕は、恋をするということをあきらめていたのだ。それなのに、最近、自分でも、ああ甘酸っぱいな、青春をしているなと思う時が度々あって、その上、ある一人の女性を見て心臓が飛び跳ねたり意味も無くその彼女に関して思考を巡らせてみたりしてしまうことがある。ねえ、これは一体何なんだろう、僕。冷静になって自分に問いかけてみたけれど(自分に問いかけていること自体で僕は冷静ではないかもしれないけれど)返ってくる返事はもちろんクエスチョンマークだけで、僕はまた首をかしげることになり、堂々巡りであった。いいや、うん。たぶん、答えはたぶんもう分かりきっているのだけど、これは本当にそうなのだろうかと今でも僕は僕を疑っているから、僕は僕に問いかけ続けるのだ。はやくはっきりしてしまいたい。だって、こうなる前と今じゃ、何も考えずにぼうっとしてしまうことがやけに多くなってしまったからだ。そのせいで、ティータイムを書類整理の休憩という逃げ道に使って良い香りを漂わせている紅茶を口に運んでいた会長に「もしかして恋でもしてるのか?」なんてにやついた笑みで問いかけられたけれど、僕はいつもの笑顔でたくさんの選択肢から言葉を選んで答えるだけだった。
いま僕は、買出しという名目で休日にさんと待ち合わせをしていたのに、珍しく遅れてしまったのはそれに思考を乗っ取られていたせいかもしれないけれど、まあそれは単純に言い訳にしか過ぎなくて、遅れてしまったという事実は変わらない。小走りしながら時計を見ると、約束していた時間より20分ほど針が進んでいた。きっと彼女のことだから、約束の10分前くらいには到着しているだろうし、つまり僕はさんを30分ほど待たせてしまっているのだろう。彼女を一人で寂しくさせてしまったことを後悔して、少しだけ足を動かすスピードを早める。目印にしていたお店の前に、さんの背中を見つける。制服姿の彼女とは違う、彼女がいて、すらりとしたその背中を視界に入れただけで僕の胸は満杯になって、限界だ、苦しい、と叫んだ。ああ、そうだ、これはきっと魔法だ。悪い魔法使いが白雪姫にかけた、魔法のように、キスでしかとけない、キスでもとけないかもしれない魔法。だからこんなにも僕の胸は泣いたり笑ったり不安になったり焦ったり恋しくなったり苦しくなったり後悔したり困ったり怒ったり幸せになったり嫉妬したり期待したり拗ねたり怖くなったり空っぽになったり満たされたり死にたくなったり生きたくなったりしているかもしれない。そうだね、それも正解だね。僕が言った。僕は、彼女の近くまで来たけれど、さんは僕に気がつかないままで、未だ背中を向けている。あと、まだ正解があるんだ。僕が言った。
「待たせてごめんね」
何も考えなくたって言いたい言葉が素直に出てくるのは彼女に対してだけだよ、僕。
さんの細っこい体を包むようにして抱きしめて、彼女の慌てふためく反応を微笑ましく見つめながら、僕は謝罪の言葉を述べた。
君は僕の魔法使い
(//090814)