県立北高校は、ごくごく一般的な造りの学校だ。みんなはよく口をそろえておんぼろ校舎だと言うけれど、むしろわたしは北高のそういう所を気に入っている。どうしてかはわからないけれど、そういう外観の方が存分に青春を謳歌できる気がしてならないからだ。だって、きれいな壁に自分だけの名前を刻むより、誰が彫ったかもわからないあいあい傘に二人の名前を描くほうがいいに決まってる。けれど突然先生に来週は学校で宿泊をしますといわれたならば、わたしはきっと皆と一緒に老朽化は危険だなんだのとスローガンを掲げるのだろう。誰だって、古い校舎で寝泊りするのは怖い。
そんな北高にもひとつ、嫌だなと思っていることがある。それは、ここが小高い山の上にあるために、とても太陽に近くなってしまうことだ。夏に差し掛かったわけでもないのに、じわりと汗をかいてしまいそうな熱を浴びさせられる事が多々ある。今だって、汗が机に垂れるまでとはいかないけれど、軽く汗ばんでしまいそうなくらいの暑さだ。だから、ほとんどの生徒は今日みたいに日差しの強い日には、中庭に並べられている椅子になんか腰をかけたりしない。それなのに、わたしは誰もいないその場所を独り占めしていた。とくに暑さに弱い方ではないので、そこまで辛くはないし、むしろ辛そうなのは、わたしのひざの上にある袋の中でおそらく音をあげそうになっているであろう二つ入りのチューブ型アイスクリームだ。(だから)校舎で出来た日陰の中を歩く人たちを横目に見ながら(はやくはやく)わたしはそこに見えるはずの無い誰かの影を探していた。



暑いのは嫌いではないけれど、好きなわけでもない。汗っかきなわけではないし、あまり肌も焼ける方ではないので、日差しがさしていても大して困ることが無いからかもしれない。けれどきっとそう思うのは自分が男だからであって、女性なら、ほとんどの人が自然に気にしてしまうことなのだと、思っていた。なのに、いま僕の視界の中にいる見慣れた女性は、さんさんと降り注ぐ日差しなんて最初からないかのように、中庭にある木に見立てた丸い椅子に座っていた。なにかを射抜いたままのような、もしくはなにも映していないからこその、揺るぎの無い視線。まるで、誰かを、
「…あ、古泉くん」


ふと視線を感じて、わたしが左を向くと、校舎と校舎を繋ぐ渡り廊下の所に古泉くんが立っていた。名前を呼ぶと、少し驚いたような顔をしたけれど、彼はすぐに笑みを浮かべてこっちへ歩いてくる。わた菓子のように甘くてふんわりした、フェミニンなそれが素敵だと、わたしと同じクラスの女の子が騒いでいるのを何度も聞いたことがある。でもわたしは、その浮いた話を小耳に挟みながら、彼の笑顔も素敵だけれど、古泉くんの目をつぶる瞬間とか瞬きをするときの方が綺麗で、好きだななんて思っていた。そんな馬鹿なことを考えていたのはほんの少し前の事なのに、なぜかえらく昔のことのように思えて、不思議だ。椅子と同じ形でいて、一回り大きい机の隣に立った古泉くんを見る。
「座る?あいにく、日差しはきついけど」


「…よろしいのですか?」
さんが、誰かを待っているように見えたのだ。今ではすっかり消えてしまっているが、さっきまでの視線は、誰かを思い浮かべて、苦しんでいるような、そんなまなざしだった。僕はそれを知っている。彼を見ているときの彼女のそれに、酷似している。
「え、何が?」
さんは、不思議そうに大きくて綺麗な瞳を僕に向けた。
「僕が、そこに座ってしまってもよろしいのですか?」
まるで、自分に確認するようだった。
「よろしいもなにも、咎める人なんていないよ」


「それでは、遠慮なく」
そう言ってわたしの左斜め前に座った古泉くんは、どうしてかは分からないけれど、少し安心したように見えた。彼は、引き際を知っている。特に涼宮さんに関してイエスマンな古泉くんは、周りがきちんと見えているし、いざという時にはそれをうまく転がすために自分から動く事だって多い。だからこそ。
「古泉くんなら、自分から隣に座ってもいいですか、とか聞いてくると思ってた」
「僕はそこまで積極的ではありませんよ」
「だったみたいね」
でも本当に、ちょっと意外だった。古泉くんは前々から自然と自分の意見を強く推すところがあったし、涼宮さんとは関係の無い時にはきちんと意見を言う人だから。もしかして、彼はそんな自分に気付いていないのかもしれない。古泉くんって、人のことは隅から隅まで見えているけれど、自分のことは全く知ってなさそうだ。
「でも、わたしはそんな古泉くんのほうが、好きだな」


自分の中の何かが音を立てた。心地よくは無いけれど、張り詰めてもいない。そんな妙な感覚に襲われている僕に、さんはチューブ型のアイスを差し出した。驚いているとさんがこう言う。
「一人じゃ2本も食べれないから、貰ってほしいな」
最初は誰と食べるつもりだったのですか?
なんて言葉にすることは出来なかった僕は、笑顔でアイスを受け取った。暑さに耐え切れなかったのだろう、アイスは半分くらい、液体になっていて、残っている塊が侵食されるのも時間の問題だった。(ああ、これはまるで)

「…もういっそ混ざっちゃえばいいのにね」
アイスを食べるというよりも、飲んでいるさんに倣って僕もそれを口にくわえた。中途半端に溶けていたせいなのか、一番最初に甘さが僕を襲う。そのおかげで、それがカルピスの味だということに気づくのは少し後だった。味がきちんと交じり合うように、元に戻るように、僕はチューブを押して中で混ぜる。塊はもうない。
「甘いのか、味が無いのか、はっきりすればいいのにね」
それはアイスに対してなのか、僕に対してなのか、さんが自分自身に言ったのかは、分からなかった。

ささやかな嘘を飲み込む
(//090410)