白蘭の目を盗んでわたしは時々、この地下にある機械室を訪ねる。機械室にいるスパナは訪ねてきたわたしを見はするけど、ほんとにそれだけで、話なんかあんまりしない。(わたしが話しかければ、ちゃんと答えてくれるようにはなったけど)スパナが機械室で行っている作業は下ばかりを向いてするものばかりだから、スパナの髪は重力に逆らうことなんて出来ずにそのまま顔へとかかる。うっとおしそうにその髪をどける彼を見て、耳にかけるかピンで留めればいいのに、なんて思った。そういえばこの間、わたしが使ってたピンどこにやったかな。とズボンのポケットを探ってみれば、思ったとおりそこには一つのりんご型のピンが入っていた。プラスチック製の大きくて真っ赤なりんごが付いたピンを手に持って、わたしは作業に夢中になっているスパナの隣に座り込む。「ん、?」とスパナは虚ろな目をこっちに向けて言った。飴を口に含んでいるせいか、わたしが名前を呼んでも彼は生返事しかしないときが多い。そういえば一度だけ、わたしが飴が欲しいとねだったことがあったけど、スパナは断としてそれをわたしに渡してくれなかった。彼が全く同じ飴のストックをたくさん持っているのは知っていたから、どうしてくれないのケチ!とわたしが文句を言ってその話は終了した。

「ちょっと動かないでね」わたしはそう言ってスパナの髪を触る。初めて彼に会った時から、綿菓子みたいな髪だなと思っていたけれど、ほんとにスパナの髪は綿菓子みたいにふわふわで柔らかかった。くるりと巻かれた髪を伸ばしてみるけれど、手を離すとくせは元に戻ってしまう。そうやって遊んでいると「あんたは何がしたいんだ?」とスパナが不機嫌そうな声でわたしを見ているのに気づいて、わたしは慌ててまたポケットにしまっていたピンを出す。そしてまた、スパナの左目にかかっていた髪をまとめてピンで留めた。

「髪、邪魔そうだったから留めてあげようと思って」

わたしがそう言うと、スパナは大して興味もなさそうな顔で自分の髪、わたしが留めたピンの辺りを触りだした。(ああ!)(せっかく留めたのに!)くしゃくしゃにされては堪らない、とわたしは慌てて手鏡を出してスパナに渡した。受け取ってそれで髪を見るとスパナは「ふうん」とほんの少しだけ満足気に声を出した。口端を少しだけあげて微笑みながら、色んなアングルで自分の髪を見ているスパナが可愛くて、わたしも思わず笑みを零す。初めて会った時の彼はとても無愛想で、返事なんてろくにしてくれなかった。(今でもそんなに愛想が良くなったわけじゃないけど)だからスパナの笑った顔を見れる今は、随分彼と仲良くなれている証拠だと思う。彼の満開の笑顔もいつかは見れるかな、なんて淡い期待も抱きながらわたしはいつも機械室を訪れるのだ。

「どう?見やすくなったんじゃない」とわたしが誇らしげにそう言うと、スパナは手鏡を下に置いてわたしの方を見た。地面に座っているスパナの隣でわたしはしゃがみ込んでいるから、目線が彼と一緒の高さにあって少しどきりとする。あまり生気の感じられない虚ろで沈んだ瞳。彼のそれは、γみたいに綺麗なウインクをするわけでも、白蘭みたいに流し目が巧いわけでもない。それなのに、どうしてか目を離せなくてわたしの胸は自然と高鳴る。

「まあ、これでしやすくはなったな」

彼の食べている飴の甘ったるい匂いがした、と思うとスパナの顔がアップで映る。自然な動きでわたしの唇と彼の唇がくっついて、離れた。その突然のキスに呆然としていると「あ、忘れた」とスパナがそう言ってまたわたしに口付けた。(は、)(どういう…!)離れた瞬間に、わたしの口の中には置き土産が一つ残っていた。じわりと自然に味が広がっていく。甘い甘いそれは、今彼の頭にくっ付いているピンと同じで、真っ赤な真っ赤なりんごの味。驚いて言葉も出ないわたしを見て、スパナはまた機械を触って作業を開始した。(勝手にキスしておいて)(ほら)(何か言うことがあるじゃない!)頭の中で文句の言葉を並べながらわたしは立ち上がる。そのままスパナに馬鹿、とか言ってやるつもりだったけど何も言葉は出てこなくて、わたしはスパナを指さしてぶんぶんと腕を振った。そんなわたしをスパナはきょとんとした顔で見る。何やってんだこいつ、とでも言いたそうなその瞳に文句を言ってやりたい。やりたかったのに、わたしの口から出てきた言葉はそれとは全く逆方向のものだった。

「っ、飴おいしかった!」


りんご の 赤は、危険のしる し

少し黙ったあとにスパナが爆笑しやがった。(むかつく…!)笑顔は見れたわけだけどなんかこれは違うというかわたしの思ってたものはこんなのじゃなかったの!

(//080326)