「誰かを待っとるんですか?」

ひらりひらりと紅葉が舞ったその少し奥、艶やかな黒髪を束ね、白粉を太陽の光にきらめかせながら、にこりと微笑んだまいこさんのタマオさんが見えた。まるで我が子を温かく見守る母のようなそれを受けて、いつものように僕は苦笑を返す。まいこさん達はいつまでも僕を子供扱いする。ジムリーダーになればそれもなくなるのかもしれないと淡い期待を抱いていたのはいつ頃だっただろう。月日は流れても彼女達が僕に対する扱いが変わる事はなく、むしろ僕がそれを受け止めるというスキルを得る事の方が早かった。慣れてしまえばたいしたことではないし、それよりもあのミナキでさえおそらく僕とそう変わらない扱いなのかもしれないと思うと、それはそれでおもしろいと思うのだ。

「別にそういうわけじゃないさ。僕はここが気に入ってるだけだよ」
「毎日ジムを抜け出して挑戦者を待たせるくらい、気に入ってはるんですね」
「…タマオさんに嘘はつけないな」
「マツバはんは嘘が下手で困りますわ」

しとやかに、上品に、それでいてかわいらしく口元を緩ませて笑う。こんな時でさえ、彼女なら嘘を見抜けるだろうか、もし気付けとしてどんな笑い方をするのだろうか、なんて。考えても仕方のない事ばかりが頭を巡る。

彼女がここを離れて何ヶ月経つだろう。きっと、他の奴らに言わせればたった何ヶ月じゃないかと笑い飛ばすだろうが、残念ながら僕にとってそれはその程度のものではなかった。そう思えたら、笑い飛ばせたら、どれだけよかっただろう。どれだけ楽になれただろう。後悔は波のように押し寄せる。だが結局のところ、僕が彼女を恋い焦がれる事を忘れて今までのように修業を積む事だけに没頭するなんて事は出来ないのだ。それに、僕はもう嫌いになる方法も分からなくなってしまっている。だから、いつこの街に訪れるとも約束をしていない彼女を待っているのだ。来るかもしれないし、来ないかもしれない。確率なんて分からないけれど、どうせ待つならば、彼女が好きな紅葉が敷き詰められたこの小道で。

「マツバはん、タマオがええ事教えましょ」
「いい事?」

この小道に来ると、舞い散る紅葉を見て、蝶々が飛んでいるみたいと笑顔を見せた彼女ばかりがリフレインする。僕がどんな返事をしたのかも全く思い出せないのに、彼女が口にした言葉は今でも頭に残っているのだ。

例えば彼女がこの街を訪れたとして、僕はまた彼女にさよならを告げられるだろうか。別れを、受け入れられるだろうか。旅をする彼女をこの土地に縛り付けてしまいたいと思う自分と、そんなことをしてしまっても無意味だと笑う自分。会いたいという気持ちだけははっきりとわかるのに、どうしたいかは分からないなんて。
首からずり落ちかけていたマフラーをかけ直し、僕はタマオさんを見る。

「マツバはんに、挑戦者が来てはります」
「…挑戦者?それのどこが良い事なんだい?」

僕はバトルが好きだからジムリーダーにまで昇りつめたわけだし、気を紛らわせるという点でも悪い事ではないけれど、ジムに挑戦者が訪れるのは珍しい事ではない。「挑戦者は昨日も来たよ。タマオさんも知っているはずだけど」と言って僕の目の前にいるタマオさんを見ると、さっきまでの母親のような視線はすっかり消え去り、年端もいかない少女のような笑みを浮かべていた。これだから、女性は分からないのだ。思わず魅入っていると「マツバはん」タマオさんが僕の名前を呼んだ。

「その方は、ジムリーダーのマツバはんではなく、ただマツバはんと挑戦したい言うてます」

最初からその考えは頭を過ぎっていた。そうであれば良いと強く願っていた。けれど、まさかそんなわけがないという思いが邪魔をして、信じきれなかった。だが、タマオさんの言葉は僕の背をいとも簡単に押したのだ。
地面が見えなくなるくらい落ち、幾度と積み重なっている紅葉を踏んで、僕は走る。マフラーが肩からずり落ちているが、そんな事を気にしている余裕はない。マツバさん、と僕の名前を呼んで微笑む彼女の顔ばかりが頭に浮かぶ。ジムは、何処にあっただろうか。知り尽くしたエンジュなのに、馬鹿らしい事を考えている自分に笑えてくる。なんて、馬鹿らしい。けれど僕はそれ程までに彼女に会いたくて、話したくて、笑顔を見たくて、仕方がないのだ。そこに、いつもの冷静な僕はいない。

「!、」

ジムの前で誰かを待つようにして立っている、に関してだけは。


リフレイン



「…マフラー、落ちますよ?」

数カ月ぶりに会うの笑顔は何ら変わらず、けれど盛大に僕の胸を掻き乱した。

(//091013)