![]() *離れていく右手を繋ぎ止めてたなら* 大会に参加しようとバトルタワーに向かった僕は、そこで見慣れた人物の後姿を見かけた。髪の長さも、色も、雰囲気もまさに彼女そのもので、まさか彼女がバトルタワーにいるだなんて全くこれっぽっちも思っていなかった僕は驚いて思わず、いつもより少し高い声で「、?」と彼女の名前を呼んでしまった。そのせいで、は僕の顔を見るなり笑い声をあげて、僕は少しだけ恥ずかしい思いをした。(全く失礼な人ですね)少し恥ずかしく思っていることを隠したくて、何故がここにいるのか問うと「わたしもバトルタワーに参加したくて。今日は下見だけど、ね、ロゼリア」とが言った。隣にいる彼女の持ちポケモンであるロゼリアは、のその言葉に楽しそうににこにこ笑っている。どうやら、彼女は今日エントリーをしに来たわけではないらしい。 「なら、今日僕はエントリーをしているので、には応援をお願いしますね」 「うん、いいよ!」 少しの本気と少しの冗談で言った僕の言葉を、は快く承諾した。まさか。その突然の出来事に驚きながらも、勝手に喜びを表そうとしている僕の口を押える。にやけてしまいそうだ。そうやって必死に自分と戦っているとは「頑張ってね!バシャーモ!」と僕の隣にいるバシャーモに向かって激励の言葉をとばした。(そんな)(そんなの卑怯じゃないですか)お決まりの展開に、さっきとは真逆に僕の意識は沈んでいく。気を遣っているのか、バシャーモはあわあわと僕とを交互に見ていた。そういうときは僕のことなど考えずに、素直に喜べばいいのに。彼は妙に生真面目な所があるから困る。はあ、と溜息を吐こうとしているとが突然こっちを見て「あ、リュウも頑張ってね!」と言った。ふいにかけられた言葉に僕は「え?…あ、ありがとうございます」と動揺を隠せないまま返す。なんとなくバシャーモのついでのような言葉のように聞こえたが、嬉しかったことは嬉しかったのでよしとしておく。(それにしてもどうして)そんな一言だけで心が暖かくなってしまうのだから、僕も案外単純な人間なんだなと思った。 *+* 駅から降り立った僕らを、闇が待ち受けていた。所々にある電光と星の光だけで照らされてはいるが、それはほんの少しのもので、僕たちが帰ろうとしている道は、真っ暗な闇にしか見えない。バトルタワーは対戦回数も参加数も膨大な上、参加者が帰る頃の時間はすっかり日が沈んだ時間になってしまう。しょうがないといえばそうなのだけれど。しかも、僕との家の方向は確か逆だったはずだ。駅から伸びている二つの闇に、それぞれ帰ることになる。僕はいつものことだから慣れているが、はそうじゃないだろうし、なにより彼女は女の子だ。そこも、僕とは違う。だから「送っていきます」とに告げると、彼女はびっくりしたように目を丸くした。 「…リュウの家逆方向だったよね?」 「ええ。そうですけど、こんなに暗いんですから」 「でも妹さんたち家で待ってるんでしょ?それなら帰ってあげたほうが、」 は僕と一緒に帰りたくないのだろうか。そう思ってしまうほどに、彼女は遠慮がちに僕の言葉を否定する。たぶんそれは彼女なりの気遣いなのだろうが、今の僕にはそれさえも苛立たせる材料にしかならない。「うだうだ言ってないで早く帰りますよ」と僕はの手を掴んで、彼女の家に向かう方の道を進んだ。「ちょっ、リュウ!」後ろからの焦るような声が聞こえる。(…別に何もしやしませんよ)ぎゅっと握ったの手が暖かくて、冷えた僕の手がどんどん温まっていく。その感覚がやけにリアルで、無駄にどきりとさせられた。せかせかと動かしていた足を止めて、僕は後ろを向いた。もちろん手は離さない。 「確かに妹たちは心配ですけど、今の僕にとっては。君の方が心配なんです」 こんなに真っ暗な道を一人で帰らせるのは本当に心配だし、もし彼女に何かあったら申し訳が付かない。僕はの親でもないし恋人でもないから、怖がる彼女に甘い言葉を囁いて抱きしめたり、落ち着かせたりすることは出来ないけど、手をつないで送り届けてあげることは出来る。(まあ)(これが精一杯とも言いますけどね)から伝わった暖かい温度が全身にまわったとき、「…、ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらうね」とが笑って言った。もう寒くなんかない。 彼女の足の速度に合わせながら肩を並べて歩いていると、隣にいるからふわりといい匂いがした。そうだ。これは、前に音楽室で一度匂った香りだ。彼女は香水だとかそういった類の物をつける印象ではなかったのだが。僕は気になって「それ、香水ですか?」とに聞いた。「それ?」と僕の示した物が分からなかったは首を傾げる。「ああ、すいません。の髪からいい匂いがしたので、香水か何かかと思ったんです」僕が説明するように言うとは「あ、ううん、違うよ」と苦笑しながら否定した。やっぱり香水ではなかったのか。では、なんなのだろう。考えていると、が微笑を零して言った。 「わたし、将来アロマテラピストになりたいの」 「アロマテラピスト、ですか?」 聞いた事はあるけれど、すぐに思い出せないその単語の意味に僕は首を傾げる。確か、アロマテラピーで人やポケモンを癒す職業だったはずだ。それをに聞くと「うん、そうだよ!」と彼女は少し微笑んで言った。正解だったらしい。僕はアロマテラピストという職業をあまり知らないし、はっきりと頭の中に描けるわけじゃないけど、彼女にはとても合っていると思った。 「いいですね。に似合っていると思います」 「ありがとう。…実はさ、わたしの家、お花屋さんなんだけどね、そういうの関係なしに、ずっと花が好きだったから。これでもっと、人やポケモンを癒してあげたいって思ったの」 「あなたらしいですね」 「そう?」 馬鹿みたいに優しくて、馬鹿みたいに人のことばかりを気遣うらしい。そういった所は僕にないもので、だから僕は、彼女のそういった部分を好きになったのだと思う。そんなことをぼんやり考えていると、目の前に花屋の看板が見えた。たぶん、あれが彼女の家なんだろうな。「あ、あれわたしの家」がそう告げることで僕はやっぱりそうか、と確信を持った。短かったようで長かった僕らの旅は、いつの間にかもう終点に到着していたようだ。 「送ってくれて、ありがとう」 するり、ときれいにの手は僕の手から離れていく。じっとそれを見ていたせいか、その動きがやけにスロー再生されて余計名残惜しくなった。あれはの右手だし、僕の左と右にそれぞれあるこの手は僕の、手。そういえば、元はそれぞれ別のものだったんだ。どうして一つだなんて思い込んでいたんだろうな。 「また明日ね、リュウ!ありがとう!気をつけて!」 「ええ、また明日」 未だ手を振り続けているだろう彼女に背中を見せて、僕はさっき歩いた道を戻る。まだかすかに残っている彼女の体温を逃がさないよう、ぎゅっと手を握った |