枕投げ。そんな言葉、軽く死語になっているかと思ってた。1時間ほど前までは。今わたしの目の前では、えっちゃんや烏丸くん、あの白原くんでさえも、絶賛枕投げだ。女の子ばかりの枕投げとか、そんな可愛らしいものならわたしも喜んで参加していたかもしれない。けれど、目の前で繰り広げられているそれは、そんな軽いお遊びのレベルじゃなかった。確実に私怨と力が込められた枕たちが空を行き交っている。(これは戦争ですか…!)こんなの参加してられない、とわたしは避難するために部屋に備え付けてあったバルコニーに足を走らせた。 バルコニーに出て上を見上げると、「わあ…!」一面の星空がわたしを迎えていて、その中でひと際輝く満月がわたしを見下ろしていた。こんなに綺麗なお月さまなら、お団子用意すればよかった。お月見はとうに過ぎてしまったけれど、満月を見るとそう思ってしまうのはみんな同じだと思う。等間隔にある柱と柱の間から足を出して、ぶらぶらと大きく振る。寒いかと思っていたけど、意外にも夜風がそよそよと気持ちいい。そうやってまた空を見上げているわたしに「さん」と枕を抱えた白原くんが声をかけてきた。一瞬、第一次枕投げ戦争が終わったのかと思ったが、後ろを向いてそうじゃないことがわかった。みんなの叫び声と、走り回るみんなの影がそれを物語っている。「ふう、」と白原くんは一息吐いて、わたしの隣に座った。 「白原くんも逃げてきたの?」 「俺は逃げたりしないよ。けど、君がこっちにいるのが見えたからね」 もしかして、ベランダに向かうわたしを見て追いかけてくれたのかな。少しだけ期待しながら彼を見ると、「あれより、こっちの方が面白そうだしね」と白原くんはにやりと笑った。そうだよね。そうですよね。わたしに会いに来てくれただなんて(ありえないよね)、そんな事考えたわたしが馬鹿でした! でもそうじゃなくても二人だけっていうのは嬉しいもので、さっきまで聞こえていたはずの皆の叫び声は全く聞こえなくなった。響くのは自分の胸の音だけ。どくん。緊張を隠すために隙間から足をぶらりと垂らして、揺らす。そんなことをするだけで消える緊張じゃないのは分かっていたけど、何もせずにはいられなかった。白原くんの事ばかりを意識して、きらきら輝く夜空を見る。なんだか、咽が渇いてきた。ジュースでも取りに行こうかな。確か冷蔵庫に入っていたはず、とわたしは立ち上がった。はずだった。 「こんな真っ暗な闇の中に、俺一人を置いてくの?」 立ち上がろうとしたとき、隣にいた白原くんに右手を掴まれ、バランスを崩したわたしはそのまま倒れてしまった。もちろん、引き寄せたのは白原くんなのだから、彼の腕のなかに。後ろ向きに倒れたせいで、わたしの背中に彼の胸板があたる。その体勢をいいことに、白原くんはわたしの右肩にあごを乗せてきた。「あとさ、こんなの一人で見たって面白くないんだけど」と白原くんが楽しそうに言う。彼が呼吸をする度に、わたしの首元や頬にそれがかかって、こそばゆい。無駄に息を吐く彼を見て、わざと多めに息を吐いているのだと気付いた。逃げたい。物凄く逃げたい。だけど、白原くんがわたしの手首を離さないせいで、逃げられしない。(意外と力強い…!) 「ひ、一人酒とかよく言うよ。夜空は一人でも楽しめる肴な、」 肴なんだよ。そう言おうとした、言えなかったその言葉はもう、飲み込むしかなかった。さっきまで物凄く近くで笑っていた白原くんが、真剣な表情になってわたしを見ていたからだ。それは、いつも授業中に盗み見る彼の横顔に似ていて、わたしはもっと胸を高鳴らせた。もう白原くんから、視線さえも外せない。 「それに、俺がほんとうに見てたのはあれじゃなくて、君だから」 もっと、咽がかわいた。どうしてくれる。 |