ぐさり。パンを割って、太く熟しているりんごの切り身にフォークを刺した。ぐすり。目の前のりんごからすすり泣きが聞こえたような気がしたけど、わたしはそんなことお構いなしにそれを口に運ぶ。悲鳴をあげずにただ砕かれていくそれは、一噛みしただけでシナモンの甘ったるくない爽やかな香りが脳を支配した。舌に乗っては消えていくシュガーパウダーの甘い風味とりんごの果汁が、わたしを暖かくさせた。ああ。我ながら本当に傑作だ。でもこのアップルパンは、わたしの嫉妬をぶつけられながら食べられてしまうなんて思ってもいなかったんだろうな。もう半分も残っていないパンを見て「ごめんね」またフォークを刺した。

「あれ、また作ってたんですか?パン」

いつの間にか冠くんは、私のいるこのスタッフルームに戻ってきていたらしい。入ってくるなり告げたその言葉に返事を返そうと少し口を開いたが、やめた。そうすると冠くんは少し笑ってため息を吐く。やれやれ。まるで飽きれているような、彼のこういう仕種が嫌いだ。馬鹿にされているような感じでもあるし、何より子ども扱いされているような気がしてならないからだ。実際はわたしの方が年上だし、背だって、高い。なのに。「あなたは機嫌が悪いときに必ずアップルパンを焼きますからね」まるで彼はわたしのことをすべて見透かしているようだった。

「…店番は、どうしたの」
「東くんに任せてきましたよ。ちょうどお使いから帰ってきたようですから」

しゅるり。制服の上から肩に巻かれたスカーフをゆっくりほどいて、冠くんはわたしの向かいに座った。わたしは彼と楽しくお喋りなんかを交わす気も無かったし、なにより今、冠くんの顔だけは見たくなかったから、肘を立てながら視線を合わせないようにしていると「もらっていいですか?」何を、だなんて彼の顔を見なくったってわかる。テーブルの上に載っている、わたしがさっき作ったアップルパンのことを指しているのだ。「残りでいいなら、どうぞ」もうほとんど食べてしまったけれど、まだ真ん中の大きな林檎は半分ほど残っていた、と思う。

「ありがとうございます」

まだ高い。かわいらしい声で冠くんはそう言った。わたしは彼のこの声が好きだ。すっと自然に入り込んでくる綺麗な声。まあそのかわいらしい声でキツイ言葉を投げかけるのだから彼はなんというかギャップがひどいのだけれど。「さん」冠くんはさっきまでわたしが持っていたフォークをくるりと手のひらの中で回した。 「嫉妬ですか?」ああ ほら、ひどい。冠くんはなんとも無いようにかわいらしい声で醜い単語を投げかける。そんな汚い言葉じゃなくて、もっとその声と顔に似合う、やさしい言葉を吐けばいいのに。「だったら?」でもそんなのはもう彼じゃないってことくらいわたしは分かってた。

「もしそうなら、うれしいなあって」

きっと冠くんはいま、微笑んでいるのだと思う。かわいらしい、その外見に似合う純粋(かどうかはわからないけど)な笑顔。わたしの好きな冠くんのそれ。でも「…残念だけど、違うからね」いまは見たくなかった。「じゃあどうして逃げたんですか?」不思議で仕方ないとでも言ったように、冠くんはうつむくわたしの顔を覗こうとしたけど、必死に目をあわさないように視線を避ける。

「…逃げてないよ」
「いいえ、あなたは逃げるようにここへ入りました、だって」

冠くんはそこで言葉を切って、考えるように机に視線をおとしてから「僕は、あなたばかり見てますからね。だから、分かっちゃうんです」恥ずかしがることもなく言いきった。思わず顔をあげて彼を見ると、あろうことか冠くんはにっこりと微笑んだ。「やっと見てくれました」ああ、ああ。ざわざわ、ぞわぞわ、まるで体中の血が逆流してるんじゃないかって思った。やっぱり、無理だ。かてない。「もう、そうですそうです!嫉妬してました!」ずるい。冠くんは、ずるい。そう言えば意地をはってるわたしが馬鹿らしくなるの知ってて、言うんだ。(分かられすぎてて嫌っていうのも)(不思議)ほんとうは苦しくて仕方なかった。ほんとうは寂しくていやになった。ほんとうは、わたしの知らない誰かと仲良くするあなたを見たくなかった。けれど一番の理由は、知らない誰かに笑いかけるあなたを見たくなかったから。
冠くんは満足げな表情をうかべる。

「馬鹿ですね、さんも」
「…だって、こんなの嫌でしょ」

今回冠くんはお客さんと話していただけだったけれど、時々お客さんだけじゃなくて、月乃と話しているのを見ただけでも少しもやもやしてしまうときもある。なにもないってわかってるし、月乃は大好きだ。けれど、 。(…きっとわたしは)世界中の女の子に嫉妬しているんだろう。そのうち、パンにまで嫉妬してしまうんじゃないかと思う。「安心してください、僕は」冠くんは立ち上がって、わたしの頬をやさしく包む。

「嫉妬大歓迎ですから」

ふわりとシナモンの香りがして、口にりんごの甘酸っぱい味がひろがった。

シナモンシュガーキス


(//080828)