たしかな脈動

ただしい温かさ



洗いざらしの胴着を身に纏った少年は、ざんばらに整えられた箒を手に立っていた。彼の周りに見えるのは、たくさんの木々に囲まれた社。春も明けたばかりなので、視界は桜色に染まり、一面が花吹雪と言っても過言ではないほどだ。そんな風景を見て彼は溜息を吐き、小さい体を動かして箒を掃き始める。掃いても掃いても無くならないそれを見て少年は小さく舌打ちをするのだが、そんな事をしても桜の花びらが減るわけでもなく、増えるのは苛立ちだけだった。

少年の親が所有している土地は膨大であり、その殆どに木々が植えられていて、この社の掃除が終わったとしても、まだ掃除する場所はたんまりと残っている。掃いてもキリがないのだ、少年が苛立つのにも納得がいくだろう。だが、庭の掃除は少年に強いられた仕事ではない。この家に仕えるお手伝いに委ねられているのだ。それなのに、掃除を自らする理由――――

「スザク様」

不意に聞こえた声は、太陽の日差しに包まれた神社の境内に、唐突に響く。スザク様、と呼ばれた少年―――枢木スザクは笑うでもなく、ただ仏頂面を浮かべた。

「…何だよ、
「掃除は私どもの仕事だ、と何回も言ったはずですが?」
「俺も呼び捨てで呼べって言ったはずだろ!」

あどけない顔からは考え付かないほどの乱暴な口使いだが、彼女は気にする様子も無いようで、少し微笑んで神社の石段に座り込んだ。

「それは出来ませんよ」

何せ御仕えしているゲンブ様の息子さんなんですから。と彼女は付け加えてまた微笑んだ。微笑みと一緒に桜の花びらが舞う。それがまるで一枚の絵のようで、とても綺麗に思えた。彼女に見惚れたせいで、少し赤く染まってしまった頬を見られるのが嫌だったスザクは、そっぽを向いて箒を掃く。(まぁ…名前で呼んでくれるコイツは、良い奴だ)お手伝いさんや稽古をつけてくれる先生、母さんにとってスザクは“枢木の跡取り”で、“スザク”という俺個人は必要ないのだ。だから皆、彼のことを「スザク」とは呼ばない。大抵は「若」とか「お坊ちゃん」とか固有名詞で呼ぶ。けど、今更になってそれを気にしようとは思わないし、もう慣れてしまったから、といっても過言ではないだろう。だから、名前を呼んでくれる彼女に甘えて、呼び捨てで呼んでくれ、とちょっと我侭を言ってみたけど、それはさすがに無理だった。そういえば初めての我侭を言ったのはだったのかもしれない。父にも、母にも我侭なんて言えなかった。言える、状況ではなかった。

「…………スザク様」
「…、え?」
「掃除、終わってるんじゃありませんか?」

考え事をしていたが、しっかり手は動いていたらしい。最初とは比べ物とならないくらい社の周りは綺麗に掃除されていた。掃除も終ったのだし、箒を片付けに行こうかと思った瞬間、彼女が急に笑い出した。

「何だよ」
「っふふ、スザク様。頭にいい物が付いてます」
「…いい物?」

スザクが手を伸ばす前に彼女が立ち上がり、優しくスザクの髪に触れた。ふわりと花びらの香りと一緒に、優しい香りが漂う。これはきっと、彼女の香りだ。

「ほら、花弁がいっぱい」

そう言って彼女は手のひらに花弁――スザクの頭に付いていた物だ――を乗せてスザクに見せた。

「……おい、」
「はい?」
「本は読むか?」

スザクの突然の質問に彼女はまん丸と目を見開いたが、すぐ微笑んで「ええ」と答えた。「よし、じゃあ栞を作ってやる!」桜の花弁を和紙に付けて、と意気揚々に喋るスザクを見て嬉しそうに、

「楽しみに待ってるわ、―――スザク」
「ああ!……え?」

にっこりと微笑んだ。幸せと名づけるなら、きっと彼女が笑ったこの瞬間。


(//080402 title by 酸性キャンディ−)