わたしは今日もいつもみたいに枢木さんを遠くから見つめて、いつもみたいに授業を受けて、いつもみたいに友達と楽しくバカみたいな話をしながら、いつもみたいに家へと急ぐ、はずだった。そう。今日もいつもと同じ日だって、そう思いきっていたのに、わたしの学生生活は今日を機に一転してしまう。枢木さんの上司であるロイド・アスプルンドさんを気絶させてしまうという事件があってから直ぐ、あれよあれよという間にわたしは彼の助手となることになり、「とりあえず明日の放課後でいいや。枢木少佐と一緒に来てね」彼が指定したその時間にまたこの場所を訪れることになってしまったのだ。わたしは平和に青春スクールライフを謳歌していくつもりだったのに。はあ、と溜息を吐いてさっきまでいた大学の門を見上げる。向かいのアッシュフォードに通っていたのに、対面しているこの大学に軍の施設があるだなんて聞いたこともなかった。よくよく見てみると軍の制服を着た人たちが忙しなく出入りしていて、今まで気付かなかったのが不思議なくらいだ。それほどまでに、わたしは周りが見えていなかったという事かもしれない。頭の良いルルーシュとかなら気付いてそうだなあ、なんて考えながらわたしが大学に背を向けた瞬間「!」その声にわたしは身体を跳ねあげらせた。ひやりとした感覚が身体を駆け巡っているのに、わたしの口は勝手に上へと吊りあがっていて、おかしい。後ろを振り向くと、笑顔で枢木さんが手を振っていた。(わたし)(いま死んでもおかしくない)彼はそのままわたしの傍まで駆け寄って「今から帰るの?」とくりくりした瞳をわたしに向けながら聞いた。 「う、うん、そうだよ。枢木さんも?」 「枢木さん、って…僕ら同じ年で、ましてや同じクラスなんだからさ。そんな呼び方しないでほしいな」 「え!でも、」 そんな呼び方じゃ枢木さんに悪いです。そう言おうとした言葉は、夕暮れに染まった空にも溶けず、わたしの心の中へ戻っていった。枢木さんが困ったように、少し悲しそうに笑っていたからだ。わたしの呼び方が他人行儀すぎて、壁を感じているのかもしれない。気付かない内に自分から壁を作って、優しい彼の心を傷つけていたなんて。無意識だからこそ、余計に申し訳なくなる。「なんて、呼べばいい?」わたしがそう聞くと、彼はぱっと表情を明るくさせた。「スザクでいいよ。…あとさ」人当たりのよさそうな笑みを浮かべて彼は言う。 「一緒に帰ってもいいかな」 間近で見たその笑顔と夢のような言葉にわたしがくらくらさせられたのは、言うまでもない。 昨日スザクと肩を並べて一緒に歩んだ帰り道はどうでしたかと問われれば、きっとわたしは夢のような時間だったと真っ先に答えるだろう。それほどまでに、ほんとうに楽しかった。ずっと気付かなかったが、今まであまり話したことのなかった彼がわたしの名前をきちんと覚えていてくれて、その記憶力に驚いたり、生徒会のメンバーと行った企画の色々など、たくさんたくさん彼に関することを聞くことができた。中でもスザクの誕生日を聞くことができたのは本当に予想外でもあり、喜びでもあった。日にちを聞いて、夏生まれだということに無駄に納得していると「それ、みんなに言われるんだ」と恥ずかしそうに笑ったスザクの笑顔はほんとうに可愛くてしょうがなかった。それを思い出しながら和んでいると、 「これとーこれとー、あとこれもー」 まさかわたしが自分の部下の笑顔で癒しを感じている、なんてことは全く知りもしない枢木さんの上司であるロイドさんは、わたしが持っている書類にまたもや似たような書類ばかりを上乗せしていく。ロイドさんが机を漁っている間にちらりとそれを盗み見てみるが、ほとんどが走り書きのものばかりで、わたしが読み取れる内容ものではなかった。よくわからない、とロイドさんの方へ向き直ると、彼は見た引き出しを押すこともしないで他の引き出しを開けていた。全て引き出されっぱなしになっているそれを見て、だから整理が行き届いていないのかと部屋をぐるりと見回した。初めてここに入ったとき、棚がたくさん並んでいたり、ダンボールが大量に積まれていたりと物置のような印象を覚えたが、どうやらあながち間違っていなかったようだ。やることも見ることも無くなったわたしは、楽しそうに何かを探している細っこい背中に向けて、ずっと持っていた疑問をぶつける。 「それにしても、いいんですか?」 「何がだい?」 「わたしみたいな学生、というか一般人をこうも簡単に軍事施設に入れちゃって」 「別にいいんじゃないの?」 あっさりと適当な答えを返しながらロイドさんは立ち上がって「うん、それくらいかな」と満足気な声を出した。そのまま物置を出ようとしたので、置いていかれないように慌てて付いていきながらも、わたしはその対応に驚きと同時に焦りを覚える。どうして一般人であるわたしが軍のずさんなセキュリティに慌てなければならないのか。でもそう思ってしまうほどに、目の前の男は適当で、どうでもいいと言いたげな顔をしていたのだ。 「そんなに軽くていいんですか!?」 「そんなものでしょ。まあ、ここは特別なんだけどさ」 出動も不規則だし、存在自体がイレギュラー。だから、ここは軍で、一番軍に遠い所なのかもしれないねえ。 その言葉には、気に入らない、とそんな気持ちが少し含まれていたような気がして、わたしは、そんなものなんですか、と渋々納得する。首を突っ込んではいけないような気がしたのも一つの理由だ。ゆっくり歩くロイドさんの歩調に合わせながら書類を落とさないよう気をつけていると、ロイドさんが思い出したように声をあげる。器用にくるりと向きを回転させて、こっちを見た。 「そういえば、」 「はい?」 彼はいやらしく笑った。 「君さあ、枢木少佐のこと好きなの?」 ロイドさんはさっきよりも一層にんまりと微笑んだ――いや微笑むというよりも、にやり、といった表現の方が近いかもしれない。半円。まるで三日月を象ったようなそれに思わず見入っていたが、わたしははっとしてさっきの言葉を否定する。「そ、そういうわけじゃないです!」ぶんぶんと手を横に振って、必死に違う違うと焦った声でつむぐ。抱えていた書類が少しだけ落ちた。まさかこの、彼からこんなこと、色恋沙汰を問われるとはまったく思っていなかったせいで、わたしの体温は急激に上昇する。はらりはらりと書類が零れて落ちているのも構わない様子で、ロイドさんは「あれ、違うの」と少しトーンを落としたような声音で言った。なんだ、つまんない。彼の言葉がそう聞こえたような気がしたのはおそらく間違いではない。 ロイドさんが言ったとおり、わたしはスザクが大好きだ。けれど、この、彼に対する好きはラブとかライクとかそういった類のものではない。だからこの気持ちをどうやって表せばいいのか分からないけれど、きっと、「あの人はわたしの憧れなんです!」 その言葉にロイドさんはきょとんとしたような顔をしてから、笑った。 「憧れ。ふうん。そっか。…そっかあ〜」 にやついた、いやらしい笑みを口元と目元で見せつけられているようだった。出来ることならこんな笑みは堪能したくなど、ない。 「ってことは何か理由があるんだよね?そういう風になっちゃった経緯がさ」 「…聞きたいんですか?」 「ううん、べつにぃ?」 また気持ちわるいほどの笑みを作ってからわたしに向けて「けど」ロイドさんは綺麗な瞳を伏せた。 「この書類を拾う間の暇つぶしにはなるかなあと思って」 わたしは血の気がさっと引くのが分かった。真っ白い床に、真っ白いたくさんの書類が散らばってわたしたちの足元を埋めていた。 |