真っ赤。否応にもそう思わされてしまう程に、それは赤だった。誰にも使われていないはずのそれは店内の明かりを反射させてぴかぴかと輝くけれど、その行為はただ赤を際立たせるだけだった。格別わたしは赤が嫌いでも好きなわけでもなかったけど、なぜかその時わたしは物凄くトマトが食べたくなったのだ。赤だからトマト。安直な考えだったけどその色を見たせいでわたしは猛烈にトマトが欲しくなったのだ。だからわたしは「これください」この自転車を買うことに決めた。ただそれだけだった。

今日もわたしはこの自転車と一緒に茜色に染められている街を駆け抜ける。わたしがこれを乗り回す前は、赤い赤い魅力的な自転車だったのに、今ではもう色もかすんで汚れてしまっていた。時々洗車もしていたし、ちゃんと大事に扱っていたから、これはたぶん寿命なんだろうなあ、なんて思いながら頬にあたる風にわたしは寒気を覚える。冬も終わって次は梅雨を迎えようとしているのに、どうしてこんなに寒いのだろう。ぶるり、と小さく体を震わせて耳から外れそうになっていたイヤホンを押さえながら、わたしは前に向き直った。そこでわたしはアッシュフォード学園から少し離れた公園に差し掛かる。

夕刻にもなる今の時間だからか、遊具で遊ぶ子供などはいない。通学通勤の帰り道に使っている人たちばかりだ。怖い程規則的に左右に並ぶ並木を横目にペダルをこいでいると、少し先にわたしと同じアッシュフォード学園の生徒の制服が見えて、思わず目を凝らす。ブリタニア人には珍しく漆黒の髪を肩上まで伸ばし、指定の鞄を手にしている少年―――あれは絶対ルルーシュだ。彼の家は学園の中にあるクラブハウスだから、きっとどこかへ寄るつもりか、もしくはその帰りなのだろう。まあ、わたしからすればどちらでもいいことだ。音をたてないようゆっくり自転車から下りてわたしは彼に近づく。勢いよく声をかけて肩をたたく「ルルー…、シュ」、つもりだった行為は途中で中断された。それはルルーシュがこっちを向いたわけでも、わたしが言うタイミングを逃したわけではない。ただ、今の彼の雰囲気が話しかけにくかったというだけだった。

すっかり青みを帯びている葉が風に乗って彼を掠めるが、ルルーシュはそれをもろともしない。まるで自分だけ違う空間にいるのだとでもいうように、彼は周りに関心を示さなかった、まるで、彼の周りだけが違う場所のようだった。彼は一人だけれど決して孤独ではない。確実ではないのに確信を持ててしまうそれに、わたしは恐怖を覚えたのだろう。思わず、後ろからルルーシュに抱き着いた。ああ、ああ。自分の息遣いも、彼の心臓の動きも、どうしてか、なにもかもがスローモーションに感じる。

「!?…な、」

ルルーシュは驚いたが、背中にへばり付くわたしを見て誰だか分かったようで「か?」とため息と一緒に名前を呼んだ。よかった、よかった、よかっ、た。彼はまだ彼だった。決して違う空間なんかに住んじゃいなかったのだ。そう思った瞬間、両方の耳に付けたままだったイヤホンからゆっくり音が零れ出した。まるでわたしも別の世界に行っていたようだった。「どうしたんだ?いきなり」心配したようにそう聞いてくれるルルーシュに「なんでもないの。…ごめんね?」と返してやっとわたしは彼から離れる。今更ながらに恥ずかしくなってわたしが頬を朱に染めていると、ルルーシュはそれに気付いているのかいないのか少しだけ笑ってから、ある提案を持ちかけた。

「なあ
「、え?」
「少し時間あるか?」




上を向いても下を向いても、橙や黒に染まっている風景を見てどうしてか寂しいなあと思った。赤や橙は暖かみのあるとてもやさしい色(血は別、だけれど)なのにそれらに支配されているこの街はとても哀しくて、泣きたくなる。冷たい。そういった感じもあるかもしれない。

そういえば、と思い出したように耳から付けっぱなしだったイヤホンを外すとルルーシュは興味ありそうに「…いつも何を聞いてるんだ?」と聞いてきた。今わたし達と自転車は、公園の噴水前に隣り合わせで腰をおろし、わたしだけがメロンパンを頬張っている。(なんだか)(デートみたい?)これはさっきルルーシュがわたしの予定を聞いてきた訳に関係している。月に一度しかこない移動式のパン屋がいつもこの公園に来るらしく、そして月に一度のその日が、今日らしい。どうやらそこのメロンパンがナナリーの好物らしいのだ。ナナリーなら目にいれても痛くない、と言い出しそうなルルーシュは買い占める勢いで買って行ってやりたいらしいのだが、意外にも人気なパン屋らしく、一人あたり買える数が決まっているらしい。だからわたしに頼んで、見事たくさんのメロンパンを買えたわけである。そして手伝ってくれた御礼として、ルルーシュがわたしにメロンパンをくれて、イヤホンを外した所まで戻る。おしまいおしまい。見事に簡単な事実であり、(…わ、)メロンパンおいしい。これは数量制限もつくわけだ、と変に納得しながらルルーシュの問いに答える。

「……これっていうのは無いから、うん、色々かな。聞く?」

イヤホンの片方をルルーシュに渡すと、彼は自然とそれを耳にあわせた。わたしの右耳とルルーシュの左耳がイヤホンで繋がっているいうのは変な感じがして、何だか少し恥ずかしい。いつもならお互いが黙っていても気にならないのに、無駄に意識してしまって、話さないといけないような気にさせられた。(というか)(話さないと恥ずかしくてしょうがないのよ!)

「…そ、そういえばさ、ルルーシュってあんまり音楽聞かないようなイメージなんだけど、聞いたりするの?」
「いや。特に興味もないからな」
「そっか。音痴だもんね」
「それは関係ないだろう。それに俺は別に音痴というわけじゃ…誰に聞いた?」
「スザク」

わたしがその名前を素早く伝えると、ルルーシュは恨めしげな表情を浮かべた。ちなみにこれはでまかせではない。本当だ。少し前生徒会室でスザクと話していたらどうしてかルルーシュの話になって、(どうしてだっけ)(わたしがルルーシュって変だよねって言い出して……?あー分かんない!まあいいや)そのときに「ルルーシュ、結構なんでも出来そうだけどさ、歌は下手なんだよね」スザクからそう聞いたのを覚えている。面白がったわたしが追求すると「でも大分前の話だよ。今は上手くなっちゃってるかも」と彼は笑って言っていたが音痴はそんなにすぐに修復可能なものではないと思う。

考えこむように黙ったルルーシュをよそに、わたしはまたメロンパンを一口かじる。かりっ。さくっ。ふわっ。かじる度にこんな音が聞こえてきそうで、このパンで合唱が出来るかもしれないと思った。甘いのだけれど甘過ぎず、バターと砂糖の焼けた香ばしい匂いがまた絶妙だ。今度からもわたしも買いに来よう。満足な気持ちになっているとルルーシュが突然「…、聞こえなくなったぞ?」と不思議そうにわたしに言った。

「あ、この曲はさ、そういうタイプなんだよね。なんだっけ、ステレオ?片方ずつ違う声が聞こえてくるやつ」
「ああ…だから時々途切れるのか」
「こっちはちゃんと聞こえてるよ、聞こえる?」

イヤホンをしたまま彼の方に耳を近づかせる。そうするとルルーシュはどうしてか一瞬戸惑ったような顔をしたけど、すぐに耳を寄せてきて、結果的にお互いの耳が触れ合ってしまうくらいの距離まで近づいた。「ああ、聞こえる」ひくい。ルルーシュの声が近くで聞こえて、わたしはどきりと心臓を高鳴らせた。やばいやばいやばい。この距離は近すぎる。恥ずかしさと一緒にルルーシュのさらさらな髪がわたしの頬や耳にかかって、くすぐったさに身をよじった。さっきまでは、真後ろで噴水がとめどなく空に向けて溢れ続けている音が聞こえていたはずなのに、今はもう何も聞こえない。聞こえるのはイヤホンから伝わってくる音と、自分の心臓の音だけ だ。たぶん今メロンパンを食べても、音なんて聞こえないだろう。

なぜかルルーシュが突然こっちをじいと見たので、無駄にどきどきしていると「ふっ」と彼は爽やかに笑みを溢した。え。え?なに?なに笑ってるの?ルルーシュの白くて細い手がわたしの頬に伸びて、

「ついてる」

口についていたメロンパンを拭い去った。やわらかい声と、やさしいやさしい微笑みが目の前に広がって、くらくらする。パンが口の周りについていたなんて、色気もへったくれも全く無いことで、むしろショックを受けるべきことなのに、そんなことも気にならないほどにルルーシュはわたしの心を浚っていった。まるで、砂浜に書いた文字が一瞬にして波に連れて行かれてしまうように。でも、でも。わたしはまた見えてしまった。どうしてか、彼が一人、ういているような、ちがうもののような、そんな雰囲気を。たぶんわたしがそんなことを思ってしまうのは、ルルーシュがあまりにも綺麗で儚くて、あと、優しいからなのかもしれない。だから、不安になるのかもしれない。彼は実は違う星から来た王子様かなにかで、いつかはその国に帰ってしまうんじゃないかって。自分でも女の子らしい思考だなあとは思う、けど、ルルーシュはそう思えてしまうほど、いつのまにか消えてなくなってしまいそうなのだ。

「…ねえルルーシュ」
「なんだ?」
「知らない所にいかないでね」



ゆうばえのとこしえに


彼は「…俺が何も言わずにどこか行くわけないだろ?」そう言って笑った。その笑みがわたしをもっと不安にさせることも知らず に。

(//080517 title by 47 とわにささげる)