どうして彼はこうも奇麗にわたしの心を奪っていくのだろう。土浦と目が合うたびに、会話を交わすたびに、それはがらりと音をたてて崩れて、そして、ばらばらになってしまう。まるでそれが積み上げられていたことなど、最初からなかったと、嘘だとでも言うように。

「お、次の楽曲か?」

わたしの手元にある楽譜を覗き込むようにして、土浦はその楽曲名をスラスラと読んだ。普段よりも近いその距離に、わたしは動揺を隠せるはずもなく、思わず口をつぐむ。草原を思い出させる、淡く澄んだ緑色の髪が近くで揺れるたびに、わたしの心臓はやかましく怒鳴る。まただ。また。どくりどくりと奏でる心臓が邪魔して、うまく言葉がでない。息が苦しくなるほど緊張していると、今回も楽しみにしてるぜ、と土浦がにっと微笑んだ。土浦の笑顔は、心地いい。柚木先輩の綺麗な笑みでも、火原先輩のあの素敵な笑顔でさえも、この土浦の笑みには勝てない、と思う。

「お前の音、好きだからさ」

くしゃり、とわたしの髪を優しく掴んで、撫でるように頭を叩く。土浦はわたしに対してよくこういう事ばかりする。こんなこと、土浦にとったら何とでもない事かもしれないけれど、わたしにとったらとても恥ずかしくて、とてもとても嬉しいことなの。わたしを映す、深みがかった黄色の瞳にはそのままのわたしが入り込んでいるけど、土浦にはどう映っているのかな。わたしと同じで、心地いい空間が生まれているだろうか。それを聞けばあなたは、なに言ってんだと笑いとばすかもしれないけど、一度聞いてみたいな。

「お互い頑張ろうぜ、

土浦のピアノも期待してるね、と精一杯の笑顔を浮かべて、土浦を見た。薄いもやがわたしの心を包んで、温もりがやってくる。溶けてしまいそうなくらい、あつい。このもやの名前は分からないのに、それが伝わるのはどうしてなんだろう。ほんとうに危険だ。このままだとわたしは土浦をもっと心を奪われてしまうだろう。迷惑かもしれないけど、たぶんもう押さえられない、だから。ねえ、土浦。

「好きになったら、ごめんね」


愚 鈍 な 考 回 路
(同じところをぐるぐる回って、ねぇ、いっそ私のこの心を壊してしまってよ。)

(//20080126)