授業中に落とした消しゴムを拾ってもらったり、曲がり角でぶつかって、躓いた所を助けてくれて「大丈夫?」と言われたりする、些細なきっかけが今、欲しい。だけど、そんな少女漫画の一コマのような出来事が簡単に起こるわけもなく、わたしは今日も名前も知らない彼をただ、見つめることだけしか出来ないのだ。うう、くやしい。くやしいけれど、生憎わたしには自分から彼に話し掛けるような勇気は持ち合わせていない。いま持っているのは、カウンターから座席へとお皿を運ぶためのトレーだけだ。(うまい!座布団一枚!)(って大喜利やってる場合じゃなかった) ちなみにこれは一週間程前に新調したもので、そのためか銀メッキには傷一つない。光を反射させるそれは、まるで鏡のようだ。カウンターに置いてあるフキンで汚れてもいないそれを磨きながら、ちらりと彼を見る。いつもオーダーする甘さ控えめのコーヒーを片手に、一人テラスで手元にある紙を見つめている。なにが書かれているのかは分からないけれど、いつも楽しそうに見る彼を見ている限りでは、それが彼にとって大切なものだという事は分かる。幸せそうにその紙を見つめている彼は輝いて見えて、なんだか眩しい。ああ、かみさま。彼と話せるようなきっかけをわたしに下さい。今まであなたを信じてなんかいなかったから、これは理不尽すぎるお願いかもしれないけれど。叶いもしない願いを呪文のように心で称えて、わたしは強く目をつぶる。そのとき、いきなり強い風が吹いた。思わず髪を抑えて、反射的につぶってしまった目をそろりとあける。さっきと変わらない風景が当たり前のように広がって、もちろんテラス席には彼もいる。 かさり。紙独特の、重なり合う音が足元から聞こえて下を向く。紙だ。おのずとそれを拾って、風に飛ばされたせいでちらばっているそれらを次々に拾う。そしてまじまじと楽譜を見た。音符が綺麗に羅列それをみて、これが楽譜だということに気づく。なんだか見覚えのある紙に、もしかしてとテラス席の方を向く。彼が椅子から立ち上がって、こっちを見ていた。わたしと目があうとほんの少しだけ頭を下げた。長い髪がさらりと揺れて、彼の頬にかかった。まるで謝罪するようなその行動に、やっぱりこの紙は彼のものだったのかと確信を得る。 これはもしかすると、かみさまがくれたチャンスなのだろうか。あまりに出来すぎた偶然に、どきり、とわたしの心臓がやけに大きく高鳴った。急いでテラス席にいる彼に近付くと、ありがとう、と微笑みと一緒に差し出された手に、わたしは拾った楽譜を手渡した。どきり。また胸がうるさい。彼の笑顔を間近で見れたということもあるけれど、それがわたしに対しての笑顔だという事に余計と胸を高鳴らせてしまい、誤魔化すように、いいえ、と返す。 「…君、何処かで僕と会ったことあるかい?」 ふわりと微笑んだ彼のそれは、まるでケーキのスポンジのように、甘く、やわらかい。ドラマではありきたりな台詞でも、彼の口から発せられると素敵なものに思えるのはどうしてなのだろう。コーヒー1つ、お願いします。毎回聞く彼の注文の言葉を繰り返して、今さっき聞いた、注文ではない彼の言葉を復唱する。嬉しさが溢れ出て、思わず口端があがってしまうのを隠すためにトレーを口元の前に掲げた。 「…私半年前からここでバイトしているので。だからでは?」 「違うんだよ、さん」 教えてもいない名前が彼の口から発せられ、どうしてだろうと驚いていると、彼は何も言わずに私の胸のあたりを指差した。ネームプレートが光りを反射して光っている。しなやかに伸びた指にどきりとしながらも、なんだ、と少しがっかりした。そしてネームプレートから彼に目を合わせると、また彼はにこりと微笑んだ。心臓に悪い。 「ここ以外の何処かで、君を見たことがあるような気がするんだ」 「……なら、前世かもしれませんね」 それを口にしてから、はっとする。前世で会っていただなんて、普通の女の子、ましてや女子高生なら確実に口にしない台詞だ。変わった奴だと思われてしまっただろうか。ひやりと胸を通る何かを感じながら、私は彼を見た。けれど、彼が表情に浮かべていたのは驚愕の表情ではなく、あの心臓に悪い笑みがそこにあった。笑声をたてずににっこりとたたずむ彼は、まるで一輪の花のようにも思えた。 「…ふふっ。前世、か。それもいいかもしれないな」 想うのは (君となら前世でも会っていてもおかしくなさそうだ) (//080126 img by web*citron) |