むやみに生きる僕たちは

艦隊が上下左右に大きく揺れて、近くに置いてあった整備道具が床と擦れ悲鳴を上げた。揺れるたびに耳の奥でぐわんぐわんと音が鳴る。まるで、世界が音を立てて回転したかのようだった。でも実際に回っているのはわたし達だけであって、世界が回っているわけではない。(地球は回っている、けれど)さっきの振動で散らばってしまったものを拾い上げていると、イアンさんが「大丈夫か」とわたしの肩を叩いた。トレミーには特に問題も見当たらなかったので、今のところ内部破損は見当たりませんと答えると「お前さんの事を聞いているんだが」と苦笑されてしまった。わたしの心配をしてくれていたのか。

「ありがとうございます」
「いや、怪我が無いのならそれでいいさ」

イアンさんが気をつけろよ、とまた肩を叩いてわたしに背を向けた。重力のない宇宙空間で器用に移動する彼を見て、さすがだ、だなんて思いながらわたしも足を浮かせた。時々激しく揺れるけれど、そんなときはトレミーに寄りかかって、必死に踏ん張る。わたしは、重力が無いということに、未だ慣れることが出来ない。同時期に宙に出たマイスターたちは、無重力なんて何てこと無いとでも言うように楽々とトレミー内を移動している。コツがあるのだろうか。今度アレルヤか、ロックオンあたりにでも聞いてみよう。この人選に、間違いは無いだろう。むしろ正解だ。

こんな暢気な事を考えているが、我がソレルタルビーイングの母艦プトレマイオスは只今絶賛戦闘中であり、マイスター達もそれに駆り出されている。けれど戦闘中であるからといって、整備士であるわたしに何も出来ることは無い。せめて、戦闘が終わってから、無事に帰還できた彼らを迎えてあげることくらいだ。ほんと、無力。わたしがこうしている間にも、皆は戦っている。残念ながら、トレミーの厚い壁で何も見えないけれど。せめて状況を知りたい、とわたしはゆっくりした足取りで操縦室へと向かった。



「、通信が途切れました!」

張り詰めた空気に、クリスティナの高い声が響く。鈴のような、警報のような音が、頭の中で鳴りわたる。それが、今さっき聞いた彼女の声なのか、わたしの頭の中だけで響いている別のものなのか、どっちなのかは分からない。ううん、どっちでもないかもしれない。トレミーの廊下や整備室では感じえなかった緊迫した雰囲気が、びりびりとわたしに伝わってきて、今は戦闘中だという事が嫌でも伝わってくる。戦術オペレーターの二人の正面にあるモニターに、真っ赤な色のマークが点滅していて、それがマイスターの機体だという事が直ぐにわかった。今にも消えてしまいそうな赤い光に、わたしは目を奪われる。この光は、だれ?少し前まで、隣で一緒に話していたマイスター達の顔がぼんやりと浮かぶ。あれ、みんなどんな人だっけ、どんな。

戦闘は、整備士のわたしには遠いとおい話だなんて、どうしてそんな風に思っていたのだろう。思えていたのだろう。スメラギさんの焦る声も、震えるクリスティナの声も、全部ぜんぶ今わたしの目の前で起こっている事なのに、わたしだけが置いてけぼりのような、取り残されたようになる。ぽつん。
わたしは、背を向けた。なにが恐ろしいかも分からずに、逃げた。恐い。怖い。こわい。あの赤い光が見えなくなっても、皆の慌てる声が聞こえなくなっても、周りの状況が変わるわけでもないのに、わたしの足はさっきと逆方向へと進む。こんなときだけ移動が上手にできて、腹が立った。

待機室の前でわたしの足は止まる。ここは、整備室が一望できる部屋だ。ガラスの向こうにはいつもマイスター達の機体が見えるのに、今は何もない整備室だけが空間として置かれている。ぽつん。ああ、同じだ。もしかして、近づいた者同士で似たのかな。ぽつん。わたしの手のひらに水滴が落ちた、かのようにみえたそれは、空間に浮かんでいた。また一つ、ぽつん、とわたしの目から水滴が溢れる。泣いて、いるのだ。目の前のガラスに、わたしがそのまま映る。なにもできないわたしだ。情けない。なさけない。溢れてくる涙を拭っていると、突然ドアが開いて、私の視界に紫色がちらついた。

「、おか、えり」

嬉しさと、驚き。それを両方含んだその言葉を受けて、ティエリアは返事をするわけでもなく、いかにも不機嫌だというような顔をして壁にもたれかかった。そうだ、彼はこんな顔、をしていた。いつも気に入らなさそうに、眉をひそめていた。さっきまでぼんやりとしか思い出せなかった彼の顔が鮮明に映って、また視界がぐにゃりと歪む。

「、…何故泣いている」
「ティエリア、のせい」

かも。そう告げると、彼はまた一層に眉を寄せた。俺は何もしていないだろう。何も口に出していないけれど、ティエリアの綺麗な瞳がそう告げている。「皆は、無事?」と震える声を押えながら聞くと、「ああ」とティエリアから、ぶっきらぼうな、感情のこもっていない返事が返ってきて、わたしの目の前には彼がいるんだと実感した。あんなに遠く感じた彼が、今わたしの傍にいる。ああ、そうか、わたしは、みんなが、(彼が)死んで、しまうのが こわかったのだ。理由が分かると嬉しくなって、笑顔がこぼれたけれど、まだ目から涙が溢れている。笑っているのに、泣いている。たぶん、ティエリアから見たわたしは凄い変なんだろうな。ふふ、と笑うとティエリアは溜息を吐いて「どうせ、自分は一人だとでも思ったんだろう」と呆れたように言った。どうして分かってしまったのだろう。笑うのをやめて、ティエリアを見ていると、「お前の考えていることくらい分かる」となんとも悲しいことを言われた。でもこれは、考えようによったら嬉しいかも、しれない。

「お前は分かっていないことが多すぎる」
「…うん、」

ふいとそっぽを向いてティエリアは言った。いつもは冷たいと思うティアリアの言葉が、とても暖かく思えて、心がほんわかしていく。外されていたティエリアの視線が、わたしの視線と交じって、止まった。「…、」とわたしの名前を呼ぶとティエリアの深いふかい紫色の瞳がかげったような、気がした。

「覚えておけ、自分の居場所くらい」

もう涙は止まっていた。

(//20080210)